バッドボーイズ佐田正樹の武勇伝、伝説、愛車、生い立ち、結婚相手、子供など

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佐田正樹さんに関する情報まとめ

佐田正樹のプロフィール

名前:佐田 正樹(さた まさき)
生年月日:1978年9月13日(36歳)
出身:福岡県糟屋郡篠栗町
血液型:A型
身長:173cm
体重:70kg

~経歴~
福岡第一高等学校時代
福岡最大勢力を誇った暴走族“幻影”の総長
元・福岡連合(総人数200人)二代目総長

高校卒業後福岡吉本に入る

2008年~ 『AKBINGO!』レギュラー出演中

 

佐田正樹の武勇伝・伝説

●『ビーバップハイスクール』のビデオで英才教育!?

今からは想像出来ませんが、佐田さんは幼少期いじめられっ子だったそうです。いじめられているという事を親には言えずにいましたが、父親は何かを察して、おかっぱ頭だった佐田さんを床屋に連れて行き角刈りにし、柔道教室に通わせ始めます。

さらに、小学2年の佐田さんに「これを見て強くなれ」と言ってビーバップ・ハイスクールのビデオを渡したそうです。そして、小学3年の時にいじめられていたいじめっ子を懲らしめ、ここから兼か無配伝説が始まる。

幼少期に、ヤンキー高校生が主役のビーバップ・ハイスクールを見させるとは、かなりの英才教育ですね。しかも、それを見て本当に強くなってしまうは、おそろしい才能の持ち主です。

 

●中学2年、時計店強盗であやうく逮捕!?

佐田さんは仲間と閉店した時計店のショーウインドーを割って入り、時計を盗んだそうです。その盗んだ時計をすぐに質屋に持って行くというなんとも軽率な行動で、結局犯行がバレてしまいます。しかし、その時は仲間がかばってくれた為に逮捕を免れたそうです。

 

●高校入学早々、先輩を殴って停学に!?

高校に入学早々の出来事です。新しく入学してきた1年生の中に調子に乗っているヤツがいないかと、2年生のヤンキーの先輩が廊下から1年生の授業中の教室を覗き、見回りに来ます。佐田さんは、その先輩になめられまいとガンを飛ばしていたら、その2年生の先輩が教室に入ってきて、「表に出ろ!」と、トイレに連れて行かれ、そこで2年生5~6人からボコボコにされました。番長になろうと思って入学してきた佐田さん、ここでやられっぱなしだといけないと思い、トイレの掃除道具入れに置いてあったモップを手に取り、去っていく2年生の背後から近づきその2年生の頭をモップで殴ります。殴られた2年生はその場に倒れ、佐田さんはその場で先生に取り押さえられ停学となる。

停学が明け、学校に登校すると佐田さんは1年生の中で有名人となっており、まるでヒーロー扱いだったそうです。

 

●1年生vs2年生 全面戦争で勝利

2年生をモップで殴った事で、1年生からは絶大な支持を得た佐田さんですが、反対に2年生からは反感をかっていました。その事から、1年生vs2年生の全面戦争に発展します。

放課後、1年生と2年生それぞれ約30人程が体育館に集まります。先生の邪魔が入らないよう全てのカギを締め、そこでお互いの総力を挙げた決闘が行なわれ、結果的に1年生が勝利します。その事で、佐田の名前が高校全体に広がる事となりました。

 

●山の山頂でのタイマン『山タイマン』で勝利

暴走族同士の抗争の際、決着を付けるいくつかの方法があります。その決着の付け方については、事前に双方電話でやり取りして決め、負けた方は無条件で相手の族の傘下に入らなければなりません。

その決着方法とは、

・『頭出しタイマン』・・・総長同士のタイマン
・『全面戦争』・・・暴走族のメンバー全員での決闘
・『山タイマン』・・・佐田さんの武勇伝として語られているエピソードです。

佐田さんが語る『山タイマン』とは、双方の暴走族が集合している所に、暴走族のOBがY32というかなりイカツイ車(フルスモーク)が迎えに来て、頭の2人だけがその車に乗せられます。そのまま無言で山の頂上まで連れて行かれ、そこでタイマンし勝った者だけがその車で帰れるというものです。

佐田さんは、その戦いで相手のマウントポジションを取り負けを認めさせ、見事車で200人もの仲間待つ場所に戻ります。フルスモークの車から佐田さんが登場した時、その仲間達の盛り上がり、興奮は凄かったそうです。

 

●修学旅行出発当日に逮捕!?

これは「すべらない話」で語られていたエピソードです。佐田さんは、小学校の修学旅行の時に、腕の骨を折っていて皆の迷惑になるからという理由で修学旅行に行けませんでした。中学校の時は、修学旅行前日に張り切って長風呂をしたために、当日40度の熱が出て行けませんでした。

小学校、中学校と修学旅行に行けておらず、高校の修学旅行は非常に楽しみにしていました。そもそも高校は、行くつもりはなかったそうですが、母親に高校だけは出ておくようにと言われ、勉強せずに入学出来て、修学旅行先がハワイ、という理由で高校に進学していました。

そのため、佐田さんにとって高校の修学旅行はかなり重要なイベントでした。そして高校2年生の冬、修学旅行前日にしっかりと荷物も準備して就寝します。そして修学旅行当日、7時に起きる予定でしたが、朝5時に母親に起こされます。まだ、起きるには時間が早いと思いながら目を覚まし、周りを見ると、ベッドの周りをスーツ姿の警察官に囲まれていました。

佐田さんには逮捕状が出ており、結局修学旅行に行く前に、手錠を掛けられ、縄で縛られ連行されたそうです。結果的に、佐田さんは人生で1度も修学旅行を経験する事がなくなってしまいました。

 

●高校時代最後、伝説に残る派手な喧嘩!

佐田さんが高校3年生の時のエピソードです。高校3年ともなると、当時佐田さんの名前が有名になりすぎて、喧嘩を売ってくる人もいなくなっていました。

福岡の繁華街、中州にいる黒服の人たちですら佐田さんを見かけるとかならず佐田さんに挨拶してきており、無視出来ない存在だったそうです。また、年上の人達からも “佐田さん” と呼ばれる程でした。

そんな佐田さんの通っていた高校には工業科・商業科・普通科とあり、合計3000人程の生徒がいたそうです。ちなみに佐田さんは工業化でした。

ある日、佐田さんは昼休みを過ごしていたら、見たことない商業科の不良グループに喧嘩を売られます。そして、タイマンを張る事となるのですが、佐田さんにとって高校最後の喧嘩となるであろうこの喧嘩、伝説に残る喧嘩にすべく派手にしよう、という事で必要以上に相手をボッコボコにました。

普通なら、相手が戦意を失った所で終了なのですが、その時には相手がくたばってもさらにボコボコにしました。

そんな派手な喧嘩が終わり、佐田さんは商業グループの相手の仲間に救急車を呼ぶよう促したのですが、救急車を呼ぶと警察にも連絡がいくようで、結果的に学校に警察が駆けつけてきてしまいます。

そして、急遽体育館で緊急全校集会が行なわれる事となります。佐田さんはその時、鑑別所から出たばかりで、保護観察がついており、次に何か事件があると、少年院に行かなければならない状況でした。

その為、バレないよう血のついた服を急いでジャージに着替え体育館に向かいます。そして全校集会で、先生から「この中に殺人鬼がいる。誰か出てくるまで返さない」と言われしばらくは、佐田さんも黙っていたのですが、2時間が経過し覚悟を決めて自白しました。

それで結局、佐田さんは職員室に連れていかれ、その後相手のところにお見舞いに行ったそうです。その後、相手も自分から打った喧嘩だからと言い、佐田さんは少年院行きは免れ、その相手とも親友になったそうです。

 

●吉本に入るに至ったエピソード

暴走族は高校3年生の夏には引退するのが風習となっており、それ以降も暴走族を続けているとダサイとされています。

一般的に高校卒業後は、暴力団員となるか、一般的な会社員になるかのどちらかでした。それで、佐田さんも暴力団事務所に電話番として行った事があるそうです。そこでは、電話が掛ってきたら低い声で電話にでる、それ以外は常に掃除のみでした。その経験から、暴力団員にはなりたくないと思ったそうです。

そして、佐田さんは自分自身本当は何がしたいのかと考え、小学校6年生の文集を読み返します。そこには、「将来僕は田代雅史さんみたいになっているだろう」と書かれていました。そんな事から自分はお笑いがしたいのだという、潜在的な欲求が出てきていました。

高校の先生から将来の進路について聞かれた時には、お笑い芸人になりたいとは言えず、照れ隠しから歌手か役者になりたいと答えます。しかし、先生からは「歌手も役者も向いていないからお笑い芸人になれ。そして清人に相談してみろ」と言われ、当時学校内で漫才を披露する事もあった、清人に相談したところ、一緒にお笑い芸人になって天下を取ろうという話になり、福岡吉本に入ったそうです。

 

●その他のエピソード

・腕に若気の至りで入れた、龍の刺青が入っている。

・逮捕されても卒業できた理由は、親は(逮捕された時に)「卒業させてほしい」と要望し、先生が「鑑別所にいるということではなく、入院と言う事に」したため。

・ファーストキスは、中学2年生の頃

・福岡少年鑑別所に約1カ月間収容されていた。収容時の唯一の楽しみはビデオ鑑賞であり、この時に観た『ジュラシック・パーク』に衝撃を受け、現在でも最も好きな映画だという。

・佐田さんが自ら書きおろしたという著書『デメキン』

デメキン [ 佐田正樹 ]

 

愛車は ローレルKHC130

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Photo:Rocky Auto Blog

これは、2012年10月にとある車屋さんのブログに、

“先日バッドボーイズの佐田君がローレルKHC130をご購入にご来店されました。
東京都内にてご使用されるということでエアコン、パワステにてフル装備のKHC130ローレルです。”

という文章と共に、掲載されていました。

この車一見どこかの外車かな!? とも思えるような見た目ですが、これは国産車なんですね。日産が1972年~1977年に販売していた車で、今ではかなり希少な車です。

佐田さん、かなり似あってますね。

 

結婚相手、妻や子供は?

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佐田さんは、2007年1月にとある番組で11年交際していた彼女にプロポーズし、4月15日に結婚しています。

奥様の名前は恭子さんで、出会いは高校の時だそうです。恭子さんも当時不良で、佐田さんが恭子さんに一目ぼれしたのだとか。

恭子さん、どことなく元ヤンな雰囲気はありますが、美人と評判のようです。

2人の間にまだ子供はいないようですが、今後オメデタ報道などあるかもしれませんね。両親ともにヤンキーとなると、その子供もかなり肝の据わった子になる事でしょう。

 

まとめ

ヤンキー時代に数々の武勇伝・伝説を作ってきた佐田さんですが、幼少期はいじめられっ子だったとは少し意外でした。いじめられっ子→暴走族総長→お笑い芸人 このかなり珍しい人生は、いじめられっ子の人も、将来どうしたらよいか道に迷っている不良の人達にも希望を与えられるような気がします。

佐田さんは、40歳までに自分の“本拠地”となるものを作るという目標があるそうです。“本拠地”というのは、この場所・ジャンルならだれにも負けないというものだそうで、具体的にそれは冠番組なのかもしれないし、面白い事をする仲間かもしれないとの事。

佐田さんが40歳になるまでは、あと4年間です。その時佐田さんはどんなふうになっているのか、今から楽しみです。そして、今後の更なる活躍にも期待です!


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